勝つと思えば負ける、負けると思えば勝つ

残念ながら、今回も戴冠ならず。
負けてしまいましたね、中邑真輔。
しかしWWEってのはお話の作り方が上手いですね。
これぞエンターテイメント。
新日本から鳴り物入りでWWE入りした中邑真輔。
そうは言ってもなかなかトップクラスのスーパースターへの道は簡単じゃないだろう。
そんな気持ちを裏切るかのようにどんどん登り詰め、迎えたタイトル戦。
『勝てないだろう』『難しいだろう』という周囲の目を裏切り、また期待をも上回り、『ひょっとしたら』から『いけるかも』、そして大半が勝利への確信を抱き始めたタイミング。
このタイミングでの負け。
常に期待を裏切り続けると見捨てられる。
かと言って期待に応え続けても飽きられる。
適度に期待に応え、適度に裏切る。
これが絶妙に上手いんですよね、WWEのブックは。
このレベルになってくると『八百長だろ』とか『プロレスって本当に強いの?』なんて野暮なことを言う人間は居なくなる。
これは昭和のプロレスファンには目から鱗の反応なんですよね~。
日本に限らないかもしれませんが、プロレスってのは常に真剣勝負とエンターテイメントの狭間で揺れ動いてきた。
特に日本のプロレスってのは真剣勝負の匂い、真の強者の匂いを強く香らせることで人気を得てきた面があると思うんですよね。
猪木の異種格闘技戦やUWFブーム、Uインターvs新日本や橋本vs小川線、古くは力道山vs木村政彦。
『本当にガチで闘ってるんだぞ。そして最強なんだぞ。』というフェイクの中で成立してきた面が強かった為、後の総合格闘技ブームの時代に大きく衰退してしまった。
勝ち負けや選手達のストーリーよりも『強さ』という所に軸足を置き過ぎたが故の『ガッカリ感』、これが大きかったと思う。
その点、アメリカンプロレスは『エンターテイメント』という部分に軸足を大きく移すことで今日の隆盛を迎えたんやと思う。
まぁ今の新日本プロレスもそうだけど。
これは一時期のWWEとの提携や、スポンサー企業の変遷によってレスラー自身が経営する体制から脱却したことが大きいと思う。
レスラー自身はどうしても『強さ』ってとこにこだわっちゃうからね、男やし。
さらに普通の人よりは当然ながらはるかに強いわけやし。
『強さ』や『真剣勝負』にこだわると前述のようなファンの予想を裏切り続けるようなブックは書きにくい。
『真剣勝負』での『強さ』なんて早々簡単に逆転しないから、基本勝ちブックになっちゃうからね。
しかしそんなブックは『ガッカリ』と背中合わせになるもんね。
筋書きがあるとバレた時点でダメになるから。
でも映画に筋書きがあって文句言う奴はいないでしょ?
ロッキーvsアポロを見て『八百長だ!』と怒って席を立つ客はいないでしょ?
それが昭和のプロレスと今のプロレスとの違いかな~と。
しかしWWEのブックの見事さを見るにつけ、借金ブログを投影してしまう。
みんなの『どうせ今日も負けやろ~。メシウマ見せてくれよ~』との期待に応え、アホみたいな負け方をする。
でも時々、そんな期待を裏切るかのように勝つ。
そして勝った時は負けよりも勝ちよりもギャンブル自体を辞めることを期待している読者を煽るかのように調子に乗る。
そうやって調子に乗った姿を見て『負けてしまえ!』という期待が集まりに集まったタイミングで見事に負ける。
思えばこういうブログこそが今まで人気になってきたんよね。
でもガチの場合はどうしてもどっかで収束していかないとあかんから(そりゃなんぼでも金は借りれんしね)、どっかでつまんなくなっちゃうかブログ自体が終わってしまう。
だから長くて1年、短いと半年くらいで入れ替わり立ち替わり、そういう人気ブログが現れては消えていく。
が、完全にエンターテイメント、まるっきし嘘の場合はその限りじゃない。
まぁ典型はコロかな。
こうなると『強さ』の裏付けないもんね。
でも真実を求めなければ、別にそれはそれで存在しうるんやろな。
まぁまるっきしの嘘はWWEのような至高のエンターテイメントには成り得ないけどね。
WWEの場合はブロックレスナーの例をあげるまでもなく、実はハードなトレーニングと強さの裏付けはあるからね。
実際の借金をバックボーンに架空ブログを書いたら割とうまいこと書けるんかもね。
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